土曜更新 日本史 天皇編 今日は宇多天皇。光孝天皇は自分を天皇にしてくれた藤原基経に恩義を感じ、政治は基経に一任し、自分が亡くなった後は、前天皇である陽成上皇の弟に位を譲るべきと考え、自分の子供を臣籍降下させていた。光孝天皇は即位してから3年でなくなり、陽成上皇の同母弟が天皇になるかと思いきや、基経と弟の母(基経の妹 高子)とは折り合いが悪く、光孝天皇の子供である源定省が皇籍復帰、即位し、宇多天皇となる。
テストに出るポイント。
①阿衡の紛議→20歳で即位した宇多天皇は藤原基経に関白になってもらおうと、文章を作成させ、基経に送る。しかし、その文章に「阿衡(あこう)」に任ずるという言葉があり、基経が出仕拒否してしまう。「阿衡」とは中国でいう関白のことではあるが、中国では位は高いが名誉職で実権をもたないことを基経は知っていたのだ。宇多天皇は謝罪し撤回。菅原道真も基経に意見書を送ったこともあり、基経は機嫌を直し、出仕する。 宇多天皇は内心ばかにされたような心境になったのだろうか。(写真はまんが日本史 藤原氏の独裁政治 いらついている宇多天皇) これを契機に宇多天皇は藤原氏嫌いになり菅原道真を重用するようになる。
②遣唐使の廃止(894年)→藤原基経の死後、息子の時平は若かったことから、宇多天皇は菅原道真を重用。菅原道真の勢力が大きくなるのを恐れた藤原時平は菅原道真を遣唐大使にするよう画策。小野篁(たかむら)が遣唐使を断って、左遷された前例があるため、道真は断れないだろうとみていた。しかし、道真は唐は衰え、危険を冒してまで、遣唐使を続ける必要はないと主張。遣唐使は廃止となる。道真の見立て通り、唐は滅亡(907年)する。
③宇多天皇→宇田 ではないので注意。
宇多天皇は元服した第一子の敦仁(あつひと)親王に譲位(醍醐天皇)し、宇多上皇となる。しかし、この譲位が菅原道真、宇多上皇とも凶とでる。次回は醍醐天皇。
12:50教室入室。
13:20岩出中2生入室。しかし、わかる数学を忘れてきたので、家に取りに帰ってもらう。(結局、家にもなかった。)
13:30授業スタート。
14:00岩出中2生がやってきた。面談席で自習。(~16:30)英語と社会の学校テキストをしていた。
15:00授業に入る。今日、初授業の岩出中3生 英語 6月の語句テスト、E-plus Unit2の1、2。がんばっていました。授業後、教室内で自習。(~17:00)。岩出中2生 教室内で自習。(~16:00)社会の学校テキストをしていた。
16:30紀北農芸高1生 数学 数Ⅰ教科書 展開、因数分解。中間テスト良かったせいでクラスの子から優等生扱いされるのが嫌だという。「めったにないことだからいいんじゃない!?」那賀高2生 世界史 古代ローマ、インド。昨日、休んだのは動画をみていたからというふざけた理由。クレオパトラはアントニウスのと付き合う前にカエサルとも付き合っていたはなし。
17:00岩出中2生がスマホを忘れたと入室。けっこう忘れ物が多いような。
18:00授業終了。